まゆげ

眉毛と漢字で表すとオドロオドロしいものに思えるので今回ひらがなでいきます。

今月、
「朝起きて20分で家出た」「……私も」「……まゆげ描いたから許して欲しい」「私も許されたい」
という会話を三度した。

まゆげを描くということが化粧をしていないことの免罪符になるのだろうか。
そんな許しを与えてるまゆげとは何なのだろうか。なんて、まゆげ以外は完璧に化粧をして出かけてしまった今日考えた。
まゆを描くことがすっぴんであることの許しなら、まゆげを描き忘れたことはもはやすっぴんなのではないか。
恥ずかしさでいっぱいの1日だった。

答えは出ない。そんなクリスマス。

思いつき1

ふと、この人間の形をした、皮膚に覆われている中だけが、私なのだと思った。
そう思うとおいしくないものは私の中に入れたくないし、きれいなものだけを見ていたい。良い音楽だけをしていきたいと思った。
自分がきれいでないことは分かっていてもきれいなものだけを摂取していたい。

私は何ものなのか。

今日食べたハムおいしかったなぁ。

実感する瞬間

とんかつを食べてムネヤケをしたとき
ポッキー1箱でお腹がいっぱいになったとき
全男子高校生が年下であると気付いたとき
26時まで起きれるようになったとき
友達に本当のことを黙ってられるようになったとき


大人になったなぁと思う瞬間です。

小さかった頃の20歳のように大きくなれたとは思わないけれど中学生は小さく見えます。私が見る40歳のようにはなれないけどそのときの20歳はきっと幼く見えるのでしょう。
自分の幸せを一番に望んでいるのは自分自身でありたい。他人に幸せにしてもらわなくていい。自分で幸せになる。

ジェンダーって何?

センセイ、ジェンダーって何ですか?と心の中で聞きながら勉強しています。

これまで読んで勉強して一番しっくりきたのが"生きづらさ"でした。
結局それかよ、と思われるかもしれないけれど"生きづらさ"でした。

私の場合、身体の性と性自認は一致しています。性指向も(いわゆる)異性です。
でも、何か違う。大げさかもしれないけど気持ち悪さ、違和感があります。
ずっとこれは何だろうと思っていました。

私の場合は性に対するステレオタイプなイメージとその通りに生きられない苦痛だったと思います。
でも、これって私の中にあるステレオタイプなイメージが間違ってたんです。
こんな風に生きなきゃだめだってあるわけないですよね。
私はジェンダーに縛られて生きづらくなってました。
それは私だけじゃなかったようです。

感じなくて良い生きづらさをなくしたい。誰かのつらさを分かるだなんて思いません。分かろうとしたい。つらさの原因を知りたい。
原因が分かれば取りのぞけるかもしれない。
ジェンダーからくる生きづらさはなくせると信じています。

さあ、どの角度から勉強してやろうか。

がんばれ。

「がんばれ。」というと怒られることがある。もう十分にがんばってるじゃないかとか無責任だとか。

「無理しないでね。」ということは容易い。気にかけてる風に見せられるから。その人のがんばりに責任を持たなくていいから。

がんばることはしんどい。「無理しないでね。」と言われたら楽になるけどそれはがんばらないから。がんばってできなかったときにがっかりしなくて良いから。

私はしんどくても応援したい。がんばってできなかったときに何を言われても応援したい。「がんばれ。」ということの厳しさを知って応援したい。がんばれと言い続けたい。

そして、誰かに応援してもらえるようになりたい。「がんばれ。」ということにためらいを持たれずに言ってもらえるようにいつだってがんばるよ。


道の向こうで坂道をのぼる高校生に心の中でがんばれと言っておいた。私もそうありたい。

勝手にふるえてろ

ご存知、綿矢りささんの「勝手にふるえてろ」を読みました。

文庫版の表紙のかわいさとタイトルのギャップにやられてしまい買ってしまいました。所謂ジャケ買いです。
中学生のときに「蹴りたい背中」を読んで、わからん、、、と思っていた人間なので何年ぶりかの綿矢りささんの本でした。眠いときに本を読むもんじゃないと教えてあげたい。

競争が私たちの栄光を作ったんのだということを述べていて

でも疲れたな。

でためらいもなくぶった切られたとき
この本好きだ。と思いました。

そこからはすらすらと止まらず読みました。
イチへの長い片想いの描写は 特技:不毛な片想いの私には少しつらかったです。好きなものは好き、好かれないということは嫌いになる要素ではありません。
何も思わなかったただのクラスメイトだった子が背景だった人が名前を持つ。意外な結末と思う人もいるかもしれないけど"自身の中で名前を持つ"ということを書いた本と思えば何も意外性はないはず。その経験は誰にでもあるのだけれどそれをうまく文章で表現した綿矢りささんはすごい。
イチは一宮くんのあだ名なんですよね。ミスディレクション

最後まで楽しかったです。
もう一度蹴りたい背中を読みます。

10代の頃に聞けて良かった曲

過去を懐かしむためのブログではないのだけれど、

及川光博さんの「ペンフレンド」という曲が私が10代の頃に聞けて良かったなと思う曲です。

及川光博さんが10代のファンからきたお手紙に返事をするという形式の曲です。
きっと20年くらい前の曲です。

10代の君に言えることは
大丈夫時間は過ぎてゆく
人生の意味など探すより
最高の笑顔でいて欲しい

こんなことを言ってくれる人は周りにいませんでした。
明るくてかっこいいミッチーがこんな風に言ってくれたことが嬉しかった。
10代の私に必要な歌でした。何度も聞きました。

私はもうハタチになってしまったけど、これからも聞きます。

最後に、
及川光博さんお誕生日おめでとうございます。